2021/12/03
ほぼ毎週の有吉の壁が精神安定剤のうちの一つとなっている。
今週の3時間スペシャルも最高だった。 リアタイできなかったのでtverで見まくっている。
コーナーは一般人の壁が最高。
特定のシチュエーションを限定することで個々の芸人の持ち味を引き出している。
という作り手の手加減ではなく、ここの芸人たちがコーナー内のお題に対してぶつかっていく様を見せることで番組として成り立っている。
ネタとドキュメンタリーがいい感じに混ざっている作品。
特番時代に壁を教えてくれた友人に感謝。
以上、↓のツイートを見たときに思ったこと でした。
自分のやりたいようにだけやるの、基本的にその人の持ってる僅かものしか出てこないから、小さくつまらないモノになりがち
— 菅俊一 / Syunichi SUGE (@ssuge) 2021年11月30日
2021/12/02
休日に絵を描き、部屋に飾って毎日眺めていた。いい感じに描けたな〜と思っていたが、今日Twitterでめちゃくちゃ自分の理想に近い絵を描いている人を見つけて、あまりの自分のできてなさに落ち込んだ。
思考がネガティブすぎるが、こういうものは自分との戦いなので、のんびりと納得いくまで高めていくしかない。
2021/12/01
作業ゲーは飽きる。
ポケgoもモンハンも、作業ゲー。
最近ピクミンの万歩計アプリも始めたが結局は作業ゲーで飽きそう。
飽きないためにはグッとくる手応えのようなものが必要な気がする。グッとくるかどうかは個々の感性によりけりだが、「こなしてる」「会得してる」感が重要な気がする。
そういやスマブラの桜井さんがゲームの面白さは「リスクとリターン」と言っていたな。
https://www.google.co.jp/amp/s/news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/171130b/amp
自分が思う「こなしてる」「会得してる」感は、ゲーム内の「リスクとリターン」を超えて会得したものなのかもしれない。
2021/11/29
天気の良い日だったが、ひたすらに眠かったのでずっと寝ていた。
ここ最近、健康オタクのマザーに週一1時間でピラティスを教えてもらっている。方法はFaceTime。健康維持と現状の連絡を一気にできて最高。
忙殺されていて毎日ほぼコンビニ食だという話をするとビタミン剤を買えと言われた。すぐAmazonで注文した。便利。
なんだかんだで最終的には身体が資本なので、健康維持には気を遣わなければならない。生きるための必須要素だ。が、なかなかそこに興味を持って情報を仕入れるまでの過程が遠い。サービス化すると食いつく人は多い。だからガジェット系はヘルスケア系に注力してるし需要は高い。運動面ではトラッキング可能だけれど、栄養素とかまではなかなか難しいよなとも思う。ご飯の写真撮ると勝手にカロリー計算してくれるアプリもあるが入力が手間。(UIもいまいち)現状のガジェットで、ユーザーの情報提供がスムーズにできて、献立とカロリー・栄養素の情報量を増やしていくと、マシな状況になるのかね。
てかそもそも、日々の食べ物くらい気をつけられるくらいのゆとりを持てる社会にシステムを変えてほしい。
2021/11/27
「何事も経験だ」という気概で日々を過ごしていたが、そもそも気乗りしていないものに対しては、モチベーションは下がるし、しんどい。
しんどいものに対して集団で取り組むと、しんどさを共有する相手がいるので、雑談とか作業分担で少しは紛れる。けれどしんどいのに変わりはなく、無意識のうちに疲労は蓄積されており、集団でしんどさが紛れるのはまやかしでしかない。
集団は厄介で、集団に馴染むほど、そこから逃げようとすると、後ろめたさが出てくる。ただ離れようとしているだけなのに、「逃げた」というマイナスなイメージがまとわりつく。
「逃げた」という感情をいかに持たないかが重要になってくるのかもしれない。
2021/11/25
今日は帰宅したら日付超えてた。アホか。
休日にDUNE2回目を見てからも余韻がすごい。
IMAXレーザーで2回見るという非常に贅沢なことをしてしまった。
アートブックもノリで買ってしまった。限定3000部に釣られた。
食費を削らなけらば。
あの、SFによくある「アイテムとか建物の仕様は語らずともわかるやろ」演出最高。
あと服がかっこいい。建物も乗り物もかっこいい。
スティルスーツのビジュアルも最高。
近代的なスーツに、アラブによくある感じで布巻くスタイル最高。
鼻にチューブ突っ込んでてもギャグにならない世界観も最高。
DUNEの世界に脳を浸しておきたい。
昔のDUNEももう一回見て比較してえ〜〜
原作も読みてえ〜〜が読める気しねえ〜〜
マトリックスの世界みたいに頭にインストールできてほしい〜〜
2021/11/20
連休は泥のように寝て、好きな映画を見て、自転車で爆走していた。
自分の時間でいっぱいいっぱいだったので日記が滞った。
今日は11/24。また自分の時間が足りなくなったので日記を再開する。
今回は20日に友人と電話会をしていた時のことを書く。
友人は最近ポケモンのダイアモンドパールのリメイク版を買ったらしい。話を聞く限り、めちゃくちゃやりこんでいて、忙しいらしい。いいことだ。
ポケモン関連で話を聞いていると、友人の知り合いの話になった。
友人の知り合いは縛りゲーをしているらしく、全ての手持ちポケモンを共通の性格を持ったピカチュウで揃えているらしい。そして友人の、また別の知り合いは、目当ての性格のポケモンが出るまでリセマラをしているそう。
自分はポケモンはアニメと漫画でしか知らないので、ゲームのシステムはよくわからないのだが、目当てのポケモンを出すための交配方法とかもあるらしく(メタモンを使うとか言っていたような)「なるほど〜」と興味深く聞いていた。
けれどその話をしてくれた友人は、そのことについてはあまりよく思っていないらしい。あくまでもポケモンとは出会いであり、故意に交配やリセマラをして思い通りのものを生み出すものではないとのこと。
この話を聞いて、なんて尊い考えを持っているんだ!と感動したし、データに対してそこまでの思い入れができるほど、ユーザーをめり込ませるポケモンって凄いゲームなんだなと思った。
友人のポケモン観の話を聞いていたときにアイボの葬式を思い出した。
愛玩ロボットやデータ上の生き物に対しての慈しみは、愛着のある道具や楽器への慈しみと同じ感情なのだろうか。
道具との出会いと、育成ゲーム上での出会いは同じなのだろうか。
そもそもポケモンってゲーム上で死って用意されているのか?
と思って「ポケモン 死」とかで検索した。不謹慎だな〜
一応アニメ上で星になったポケモンは存在しているらしい。
直接的に描かれている描写は少ないっぽい。
そして調べてみてもゲーム上ではポケモンは生き続けるみたい。
データが飛ぶ以外は逃さない限り生き続けるっぽい。
友人の知り合いの話に戻ってみる。
あくまでゲームなのでプレイヤーは何をやってもいいし、ポケモンも死なないのでリセマラをしても心は痛まないのかもしれない。
もしポケモンに死とかお別れの概念が追加されると変わってくるのかもしれないな。
でもお別れは嫌なので、ポケモンくらいは生き続けてほしいな。