2021/11/17
他者から強要されているタスク(出向)の負荷がデカすぎて、日々の自分の時間の割合が少なすぎることにブチギレた。親の脛をかじらず、自立して環境を整えるために生活しているのに何なんだこれは。夜中ギリギリに家に帰って風呂って寝て朝起きて出かける生活fuck off
自分のために使う時間を確保するために日記を書くことにする。
ここは自分の城なので好きに書くようにする。
ちょうど、これを書いているときに地震が来た。震度1くらいか。
そういえば先週の日曜、YouTubeを眺めているとき、結構震災当時の記録映像を見ていた。単純に興味として。
幼少期、近所の防災センターが遊び場だったので、防災と災害への知識欲と興味関心がいい感じにマッチしたまま成長した。なので今でも興味本位として災害の映像を見ることが多い。知識は無く、ただただ見るだけ。見て、状況を覚えて、いつか来る未来に備えてぼんやりとシミュレーションをする。
昔の人は震災の記憶を後世に伝えるために石碑や口伝で伝えていたが、今では誰もが動画を撮影でき、記録を残すことができる。石碑や口伝よりも鮮明で生々しい。
けど、生々しく感じるのはその記録媒体が新しいからかもしれない。石碑や口伝の内容にも、それが新しくできた当時は生々しかったのだろうな。
どう足掻いても生々しさは薄れていってしまうのかもしれない。今YouTubeに上がっている動画の生々しさは、いつかは薄れてしまうのかもしれない。
今日は記録映像の鮮度に興味を持った日だった。
とりあえず地盤には、大きな地震は起こさずに、震度1くらいを毎日起こしてやんわりとプレートの歪みをなくしていってほしい。